
雨雲が陽を遮りて暗き午後ゆふがほ三輪迷ひて咲けり
吉備高原のzensan宅を2組の夫婦で訪れました。
車で40分ほどの距離、途中の並木道にはまだ合歓の木がちらほら。
県北に位置する高原都市なので市中より気温がかなり低く夏は過ごしやすいところです。
先日卒寿を迎えられたzensanさん
重篤な腎臓疾患を抱えておられて心配していましたが、在宅での血液透析のやり方を会得されてお元気を取り戻していらっしゃって嬉しい再会。
ブログが縁で親しくさせていただいているおひとり。
かれこれ十数年のお付き合いになります。
同県内ということで度々ご自宅にお邪魔させていただいています。
人間でいえば百歳近くのピピにも会えて銭ママとおしゃべりも出来、楽しい一日になりました。
「20××年秋、京都国立博物館研究員の望月彩のもとに、マカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンと名乗る男が現れた。
彼に導かれ、マカオを訪れた彩が目にしたものは、「風神雷神」が描かれた西洋絵画、天正遣欧使節団の一員・原マルティノの署名が残る古文書、そしてその中に書かれた「俵…屋…宗…達」の四文字だった―。
織田信長への謁見、狩野永徳との出会い、宣教師ヴァリニャーノとの旅路…。天才少年絵師・俵屋宗達が、イタリア・ルネサンスを体験する!?アートに満ちた壮大な冒険物語」(「BOOK」データベースより)
「京都を舞台にしたアート小説を」という京都新聞の依頼でスタートした新聞連載小説を上下二巻のハードカバーとして刊行したものが本書。
読書友のUNIさんより回していただきました~(^^)
有名な国宝「風神雷神図屏風」でおなじみの俵屋宗達が主人公の物語。
原田マハ氏には珍しい日本の画壇をモチーフにしたアート小説。
「もしも」少年・宗達が天正遣欧使節団に加わっていたら・・・という仮定の下、著者のイメージを膨らませて描いた壮大なファンタジー。
著者の得意とする史実を散りばめて架空の物語に真実味を持たせるという手法。
導入部分も著者の他作品で見られるように、俵屋宗達を研究テーマにしている学芸員・望月彩のもとにマカオ博物館の学芸員が訪れて宗達に関係した資料が見つかったことを伝えるところから。
「風神雷神」が描かれた西洋画と、天正遣欧使節団の一員・マルティのの署名のある古文書、その中に記された「俵…屋…宗…達」の四文字。
この謎解きを中心に、舞台は京都をスタートに長崎、マカオ、インド、ポルトガル、スペイン、ローマに向かうというスケールの大きな物語となっています。
時代も現代から一気に安土桃山時代に遡って・・・。
幼少からその才能を世に知らしめていた宗達の織田信長への謁見、高名な絵師・狩野永徳との出会い、一員として加わった天正遣欧使節団での宣教師・ヴァリニャーノとの出会い、西洋のルネサンスを身を以って体験していくという壮大な物語。
惜しむらくは、スタート部分の俵屋宗達の物語のはずが、途中から天正遣欧使節団中心の物語のようになってしまっていることでしょうか。
謎に満ちた宗達の生涯だからこその色付け部分だったとは思いますが、膨大な資料を深堀りする途上で知り得た情報を導入したいために焦点が少しずれてしまった感がぬぐえませんでした。
京の扇屋〈俵屋〉に生まれた宗達。
桃山時代~江戸初期の絵師というだけで生没年も定かではない謎に包まれた絵師。
扇絵が上手かったというわずかな逸話以外、ほとんど謎の絵師だった宗達と同時代の天正遣欧使節団を結びつけるという発想が閃いて以来、この壮大な物語の骨組みができたとは著者の弁。
「彼が生きた安土桃山時代は、美術界ではよく日本におけるルネサンスに擬えられる。
つまり西洋でルネサンスが花開いたのと同じ頃、日本でも絵画や文化の革命が興り、その只中に宗達も天正使節団の面々もいたわけです。
そのことがとにかく私の中では発見であり、彼らをいっそ結び付けてみようという、誰も考えないことにあえて挑んでみたのです。
宗達とマルティノとカラヴァッジョが、ほぼ同じ時代を生きたのは紛れもない事実なので」
共に14歳という若さ。
成長途上の8年という歳月は宗達をもマルティのをも様々な異文化や考え方、ものの見方を受け容れ、咀嚼するに十分な歳月だったことは想像に難くないと思えますが、いかんせん現代の若者と比較してあまりにもかけ離れているのにも物語に入り込めない要因でした。
そして自分の感想としては、著者が主人公である宗達を唯一無二の才能溢れる絵師と持ち上げれば持ち上げるほど、さほどに魅力を感じなかったのがのめり込めなかった要因かも。
しかし荒唐無稽とはいえ、遊び心満載の冒険小説として読めばワクワクドキドキの著者渾身の作品でありました。