VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 篠田節子

シクラメンの鉢

自然淘汰人為的に行って人類の進歩を促そうという優生発想。



いちばん顕著な例はナチス・ドイツによるユダヤ人大殺戮。


人類の歴史の中で繰り返されるウイルスなど感染症との闘いは人為的でない自然淘汰と一応は言えるでしょう。


が、しかし現政府のやり方を見ていると・・・ついつい人為的な優生思想がちらついてしまう。

 

連日東京都での感染は600人を超え、全国の感染者数も毎回更新。

 

分科会長のあの尾身さんですら危機感を以ってGO TOキャンペーンの一時停止を強く提言しているにもかかわらず、政府は方向性をチェンジしないという。

ニコニコ生放送で開口一番

「みなさん、こんにちは。ガースーです」とにこやかに挨拶したという菅首相。

「いつの間にかGoToが悪いことになってきちゃったんですけど、移動では感染しないという提言もいただいていた」と何やら笑いを含んだ顔( ;∀;)

為政者〉をつひ〈偽政者〉と読みちがふまぶしき陽の射す活字の中に

ドイツのメルケル首相の渾身の演説との雲泥の差。

現場で命を賭している医療関係者の必死の訴えに対するガースー氏のかくもの構えに怒りを通り越してただ驚くばかり。

そして自国民としてただ恥ずかしい。

穿った見方かもしれないけれど、この際高額な医療費の対象となる高齢者や病気を抱えている生産性のない人々の一掃を通して経済的な安定ができれば、などという深謀遠慮があるのではないかとまで思ってしまう。

二階氏との政治的な軋轢もあるのは想像に難くありませんが、ここはひとつすべてを取り払ってコロナ終息に向けて医療従事者や国民の真摯なお願いに耳を傾けてほしい。


あってはならない命の選別・・・医療崩壊とともに起こりうるというその可能性を誰が一笑に付すことができるでしょうか?

菅さん、機会を失しつづけているとはいえ、潔く方向転換して、さすがという勇気を見せてほしいと願っています。




となりのセレブたち

篠田節子氏著『となりのセレブたち』


どこが優雅?
だれがゴージャス?
マダムのお茶会、犬のヒモになったオトコ、回春ペット―何でもありのセレブ生活。
となりの小金持ちたちの喜悲交々を笑い飛ばす、痛快短編小説集!(「BOOK」データベースより)


1999年
2011年にかけて小説新潮連載した5つの中編小説集を一冊にまとめたもの

◆ドライトマトと思って料理したものを食べて自分の心の奥に潜む真の欲望が叶う夢をみる「トマトマジック」

 

◆猫嫌いであるヒロインが拒否するも猫を飼い始めた家族を後目に家族からどんどん遠ざかった挙句家族に見放されて猫とともに家を出る羽目になる様子を描いた「蒼猫のいる家

 

◆吹き流しという深海の奇妙な生物に若返りや性処理を求めて殺到する男女のを描いた「ヒーラー

 

◆老化のため委縮してしまった脳にチップを埋め込み再生をはかるという近未来を描いた「人格再編

 

◆借金取りに追われ世捨て人のように山小屋に逃げ狩猟犬と共に暮らす元カメラマンが次第に飼い犬に翻弄されていく姿を描いた「クラウディア

 

 

「となりのセレブたち」というタイトルから連想させるお気軽なセレブたちのゴージャスな暮らしが垣間見える物語かと思いきや、そのほとんどがホラー。


セレブからは遠い距離にいるのでセレブとはどんな日常を過ごしているのだろうか、という物見遊山でつい手に取ってしまった・・・。 


社会のひずみなどに題材を置いた最近の著者の作品傾向の続きを期待して手に取った作品でしたが、著者本来の回帰というか、元来はホラー作家であったことを久々に思い出してしまいました。

 


5篇のどれも内容的には力作ではありますが、自分の好みとしては遠ざけたいような作品ばかりでした。

 

口コミを検索してみるとかなりの高評価でしたが、元来ホラーやSFは苦手なので読後感はかなり悪かった作品群、もう思い出したくない"(-""-)"

近未来SF小説読みしあと喫茶モナコのレトロに憩ふ


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届けたき想ひはわれに任せよと皇帝ダリア高空に咲く



 

長く貝絵をされている友人Aさんの作品を見せてもらいました。

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何年か前わたしの短歌が朝日歌壇に掲載されたとき記念にと拙歌を描いた貴重な貝絵をプレゼントしてくださったことがあります。

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はまぐりを代表とする二枚貝を美しく磨くことから始める貝絵の工程の大変さを知るとあだや疎かにできないとしみじみ思います。

それくらい大変な作業。

下地だけでも塗っては乾かし塗っては乾かしを繰り返す・・・

そしてやっと構図に移るそう。

平らな表面ではなく、ゆるくカーブしている面に緻密な絵柄や字を描くのは至難の業。

想像するだにため息が出ます。

わたしには絶対に無理(ーー;)

平安時代から始まった貝合わせという典雅な貴族の遊びのための道具立てが起源といわれているそうですが、日本人の根気と器用さがこのような芸術を支え続けているんですね。

写真の「さくら」は桜が大好きなわたしの友人SさんのためにAさんが描いてくださったもの。

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すてき桜の絵柄に桜に目がない友も大喜びです。

 

 

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さて今回は
篠田節子氏著『讃歌』のレビューを。  

 

テレビ制作会社で働く小野は、ある日耳にしたビオラ奏者柳原園子の演奏に魂を揺さぶられ、番組制作を決意する。

天才少女の栄光と挫折を追ったドキュメンタリーは好評を博し、園子も一躍スターになるが、経歴詐称疑惑が発覚して……。

感動と視聴率のはざまで揺れるテレビ制作現場の複雑な人間模様を描きながら、「人の心を打つ」とは一体どういうことなのかを問いかける、今こそ読みたい社会派小説







1990年
『絹の変容』で第3回小説すばる新人賞

1997年『ゴサインタン』で第10回山本周五郎賞

1997年『女たちのジハード』で第117回直木三十五賞

2009年『仮想儀礼』で第22回柴田錬三郎賞

2011年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞

2015年『インドクリスタル』で第10回中央公論文芸賞

2019年『鏡の背面』で第53回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞

著者の作品は社会的に問題になっているものにフォーカスしたものも多く、それぞれに異なった趣のある力作揃い。

 


本書は
2006年の作・・・チェロが趣味という著者ご自身の興味を土台にした作品といえます。

 


音楽に関する作品といえば本書に先がけて
1992年『マエストロ』、1996年『カノン』、1998年『ハルモニア』を上梓されていて、本書が4作目。


それらはヴァイオリニストやピアニストを主人公の物語でしたが、本書はヴィオリストが重要な役柄で登場。



かつてバイオリンの天才少女として権威ある賞を受賞したことのある
柳原園子の栄光~挫折~栄光~挫折という変遷と、その奥に潜む人間の業のようなものを描いています。  

 


先ごろブログでアップした同氏の
鏡の背面とある意味似通ったところのある作品。

 


日本人の気質というか、タピオカがブームになれば一億総出でタピオカ、『ボヘミアン・ラプソディ』がすばらしいといえばこぞって映画館に足を運ぶ・・・わたしもそのひとりですが・・・日本中を感動の渦に巻き込むのも速ければ、
SNSで誰かが投げかけた疑問に共鳴すれば、今度はとことん失墜するまで槍玉にあげる・・・

 


戦後日本中が一丸となって復興を果たしたよき気質もオセロをひっくり返すように一瞬にして反転すると怖い側面を持っています。

 


今から20
年ほど前にピアニスト・フジコ・ヘミングを紹介したドキュメンタリー映像「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が反響を呼び、フジコブームが起こったことを覚えていらっしゃる方も多いと思います


その後、発売されたデビュー
CD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールス
を記録したそうです。


〈ラ・カンパネラ〉が大好きなわたしはそのときの流行に乗ってコンサートに行ったのを覚えています。


力強さはあるもののミスタッチがかなりあり、ちょっと繊細さに欠ける演奏でしたが、ダイナミックな魅力がありました。



本書はマスメディアに乗って華々しくデビューした当時のフジコ・ヘミングを彷彿とさせる内容。


著者もきっと頭の隅に置いていたものを題材としてふくらませたのではないかと思える作品。


当時、みんながこぞって感動したフジコ・ヘミングの演奏は長い不遇という恵まれない時代を背景に多少色づけされたものも含めての感動だったかもしれません。

 

名演奏家が与えてくれる感動は、受け取る側のわたしたちの感性に負うところ大ですが、世間の評価は別として受け取るわたしたちが感動すればそれで終結するものであろうと思えます。

 

ゴッホの絵を観て基礎がまだ定まらない未熟な絵ととるか、荒々しい激情の迸りを感じる新鮮な絵ととるかは受け取る側の感性の問題だと思います。


そこには芸術的な基礎云々が必要なのか。 


本書の物語を牽引するもうひとりの主人公である
テレビ制作会社の小野がある日、業界でも定評のあるCD制作会社の社長・熊谷に誘われて小さな教会のコンサートに行くところからこの物語が始まります。



クラシック音楽に門外漢の小野がそこで演奏していたヴィオリスト・柳原園子のシューベルトの〈アルペジオーネソナタ〉に思いもかけず深く感動したことからこの物語が予想だにしない方向へと動き出すのです。



かつて学生音楽コンクールで優勝し、天才少女ヴァイオリニストの肩書きを貼られ周囲の期待を肩に背負い米国に音楽留学しながら、文化の違いや教師との軋轢を通して孤独を深めた結果の自殺未遂の果てに帰国、以後数十年苦しめられていた後遺症のため長く音楽から離れていた園子がある著名な老音楽家との奇跡的な出会いによってヴァイオリンからヴィオラに転向して小さな教会で音楽活動をスタートさせたという経緯。



園子の演奏に深い感動を覚えた小野は過去の彼女の経歴ににわかに興味を持ち、現実の彼女と対面してその純粋さにますます感動、彼女を主役にドキュメンタリー映画を制作したいという職業的な気持ちが高まります。

 

さまざまな苦労を乗り越えて世に出した結果・・・喝采と同じくらい、過去の園子の経歴詐称や演奏家としてのレベルの低さ、愛人問題などの真偽取り混ぜた噂が飛び交い、自分の目と耳で受け取った園子自身の像と紡ぐ音楽に対する虚像と実像の乖離の狭間で揺れる小野。

 

「園子の音楽には、心を揺さぶる圧倒的な力があった。

数々の試練を経て再生した魂が、他者の苦しみに、哀しみに、共感し、救いへと導く力。

あの中傷は、聴衆のこの力への畏れだったのではないか。

いったい音楽とは何か、何のためにあるのか」


嵐のような騒動のさなかの小野の述懐です。

 

自分の共鳴を信じ、世間からやらせと叩かれても園子を庇う小野の心情がよく表れています。

 


技術が芸術家としての許されるレベルまで達していなくても、聴衆のうちの何人かの感動が得られればそれがそれらの人々にとっての唯一無二の演奏や作品ではないか・・・わたし自身はそう思うのですが・・・。

 


言葉をかえれば、作品や演奏自体に〈ほんもの〉とか〈にせもの〉という区別はあるのだろうか・・・門外漢のわたしの疑問です。

 

 

ラストはとても重いものになっていますが、もし興味ある方は手に取って読んでいただければと思います。

yahoo画像より
当地岡山のシンデレラ。

世界でつけられたニックネームはスマイルシンデレラ。

笑顔がとてもかわいい20歳。

全英女子オープンゴルフで渋野日向子ちゃん優勝!!!


1977年全米女子プロを制した樋口久子以来の42年ぶりのメジャー制覇!


岡山・平島小~岡山・上道中~岡山・作陽高卒業。

所属はRSK山陽放送。


昨年プロテストに合格したばかり。

2019年の国内メジャー「ワールドレディスサロンパスカップ」でツアー初優勝。

そのあと同年に新設された「資生堂アネッサレディス」で初代女王に輝き、2勝目をあげたことで世界ランキング46位に浮上。

我が家ではこの国内メジャー辺りから力を入れて応援していたのでこの快挙は夢のよう。


特に夫の喜び方は半端なく一日中ご機嫌(^.^)



ずっと観ていましたが、最終日の昨夜・・・

15番ホール、トップと1打差の修羅場でチータラを食べながら青木コーチと談笑しながら出番を待つというリラックス度がすごかった!


駄菓子が大好きというひなこちゃんが試合の合間に食べていたチータラ風のものは「よっちゃん食品」というところから出ている「タラタラしてんじゃねーよ」だそう。


いま「よっちゃん食品」には問い合わせが殺到しているそうなので当分店頭では見かけないことでしょう。


なにはともあれおめでとう!!!

帰国したら超忙しくなるぞ(ーー;)




さて本日は篠田節子氏著『鏡の背面』をご紹介します。 

「聖母が死んだ。
薬物や性暴力によって心的外傷を負った女性たちのシェルター「新アグネス寮」で発生した火災。
「先生」こと小野尚子は取り残された薬物中毒の女性と赤ん坊を助けるために死亡。
スタッフがあまりにふさわしい最期を悼むなか、警察から衝撃の事実が告げられる。

「小野尚子」として死んだ遺体は、まったくの別人だった。

スタッフ中富優紀は、ライター山崎知佳とともに、すべての始まり、「1994年」に何が起こったのかを調べ始め、かつて「女」を追っていた記者にたどり着く。

老舗出版社の社長令嬢、さる皇族の后候補となったこともある優しく、高潔な「聖母」の正体とは……。

疑念渦巻く女の園、傑作長編サスペンス」



534頁という大作。


実母の介護とご自身の乳がん発症が重なり、人生の淵を彷徨いそれを乗り越えたことで、なまじの作品にはすまいという意気込みで執筆したという著者渾身の作。



さまざまな依存症に苦しむ女性のシェルターを運営する神のような女性・小野尚子が火事現場で周囲が止めるのもきかず乳児とその若い母親を救うために火の中に飛び込み焼死することから物語がスタートします。



その後警察の調べによってその亡骸は別人、しかも連続殺人の疑いのある半田明美だったことが判明。



いつから何のために二人は入れ替わったのか?


シェルターの代表・中富優紀と生前の小野尚子にインタビューをしたことのあるフリーライターの山崎知佳がルポライター長島の協力を得て真相に迫っていきます。



端的に書けば、稀代の悪女が稀代の聖女になりかわれるのか、という命題を柱の物語といえます。



善悪は表裏である、というのは人間の真実をついた言葉としてよく目にしますが、果たして徹底した悪女が生まれながらのような聖女として生き直すことができるだろうか、という心理学的な事象について問いかけた作品。



この物語に登場するさまざまな過去や問題を抱えた個々の人々の背負ってきたものの違いによってその命題の受取り方もさまざまなのがとても興味深い。


「他人の霊が乗り移った」心霊現象の一例だと受取る人もいれば、「自我というものは思っている以上に脆いもので極限まで行けば、思考と感情だけでなく、おそらく記憶さえ書き換えてしまうだろう」と推測する人もいる・・・


ということは人は自分が思いたいように思うということに他ならないのだとしみじみ思う。



ルポライターの長島の次のようなつぶやきが案外的を得ているかもしれない・・・

「つまり、策士策に溺れて、自分で自分を洗脳しちまった、って言うわけか・・・半田明美のやったことは、あちこちの国の工作員がやってることなんだ。
所作から頭の中身まで、設定した人物になりきる。
やりすぎると自分の人格までもっていかれる。
挙げ句に二重スパイをやって殺されたのがいただろ」


そして、最後にシェルターの代表・。

「私は人は生き直すことができる、と信じたいです」


過去に償えないほど大きな過ちを犯した死刑囚が獄中で信仰を得て生き直したという例も多々あり、私自身は中富優紀の言葉に共感と救いを感じました。

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少し前、友人からたくさんもらった破竹。


筍や破竹などその時期に集中して手に入るものはなんとか保存したいと思い試行錯誤します。


友人たちも同じ思いで今までさまざまな保存の情報を交換しては試してきました。


◆茹でた筍・破竹を食べやすい大きさに切って砂糖をまぶして冷凍保存

◆茹でた筍・破竹を薄味で煮たものを冷凍保存

◆茹でた筍・破竹を塩漬け冷凍保存

◆茹でた筍・破竹を熱湯消毒した瓶に口まで水を張って冷蔵保存


どれも一長一短ですが、今回は最後の瓶冷蔵保存をしていたのを使ってチンジャオロースにしてみました。

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歯ごたえも残っていてよかったです。


瓶ごとの念入りな熱湯消毒で冷蔵保存で半年以上もつそうです。






さて本日は篠田節子氏著『冬の光』のご紹介です。


「四国遍路を終えた帰路、冬の海に消えた父。
企業戦士として家庭人として恵まれた人生、のはずだったが…。
死の間際、父の胸に去来したのは、二十年間、愛し続けた女性のことか、それとも?足跡を辿った次女が見た冬の光とは―」


序文、一章~六章、結びという構成。


いきなり序文に描かれた数行が何を示唆するか・・・読者はこれを探してこの物語の奥深い森に分け入っていく・・・巧みな導入です。


一言で括れば、最後まで業というものを捨て切れなかった男の物語。


主人公・富岡康宏を中心に妻・美枝子と敦子・碧という2人の娘、そして康宏の学生時代からの恋人・笹岡紘子が主な登場人物。



主人公・康宏が四国遍路の帰路、徳島発のフェリーから忽然と消え水死体となったところから物語が動きます。



長い間学生時代からの恋人・紘子と秘めた関係を続け、妻や娘たちを裏切り続けた康宏の死は自殺か・・・それならばなぜ??


次女・碧は父の唯一の遺品である「ダイアリー」を片手に父の足跡を辿る旅に出ます。


物語はその碧の視線と康宏の視線を交互にして描かれています。


長い物語の最終章が終ったとき、あらためて康宏の人生の軌跡の切なさというか業の深さが浮き彫りになり、そして愛人という言葉で表すにはあまりにもかけはなれた存在の笹岡紘子の哀しい生き方に心が沈みました。


学生運動に明け暮れていたときの同志だった康宏と紘子。


「バリケードの中の二十代から還暦を超えるまで、平和なことこの上ない四十年の間に世間の風向きは激しく変わっていった。
その中でなぜ紘子は常に逆風に身をさらすような生き方しかできなかったのか。
いい歳をしてそれなりの肩書きがついたのだから清濁併せのむ度量を持て、などと言う気はない。
だがもう少し寛容になれなかったものか、と思う。
その許容度の狭さこそが、純粋さでもあったのだろう。
ポピュリズムに呑み込まれることなく、自分のスタンスを守り続けたということなのだろうか。
それにしても、たった一人の食卓で箸と茶碗を手に絶命していたというその様を想像するにつけ、彼女が晩年に抱えた凄まじいまでの孤独に、身の凍り付くような厳粛な悲しみを感じた」



家族や世間にとっては間違いなく不貞、裏切りという言葉でしか括れない康宏の行為が紘子という存在を通してみると、青春期から2人の死という長い行程の結びつきの一時期に妻や娘たちが割り込んだ・・・ような錯覚に陥るほど2人の関係の深さに胸が抉られました。


とはいえ家庭人としては安直な回帰に希望を託したひとりの意思の弱い男の姿が浮かび上がり、妻や娘たちにとっては受け入れがたい憤懣が身に沁みて・・複雑な読後感でした。


興味ある方はどうぞ。

レインリリー
「晴れの国」の当地も今日は一日じゅう梅雨らしい天気。

終日止みそうにない雨。


気象予報士の倉嶋厚氏の『雨のことば辞典』によると梅雨時の雨の呼び名にはすてきな言葉が山のようにあって・・・雨に籠もるのもいいな~と思わせてくれます。


「走り梅雨」「迎え梅雨」「空梅雨」「早梅雨(ひでりつゆ)」「枯れ梅雨」「戻り梅雨」「返り梅雨」「残り梅雨」


「男梅雨」と「女梅雨」というのもあります。

前者は激しく降ってカラッと晴れる梅雨のこと。

後者は弱い雨がしとしとと降り続く梅雨のことだそうですが、なんだかね(ーー;)


ちなみに今日のような雨は「黴雨」が似合うような・・・。



ポストにハガキを投函しに行き、パン屋さんで焼きたてパンを買い、それ以降は家に籠もって久しぶりの手芸。


ちょっと近所の周りを軽く散歩するとき用に財布とスマホだけ入れる小さなバッグがあったらいいな、ということで手縫いで作りました。

ミシンを出すのが面倒で。

雨の日は手縫いが似合うチクチクと針を運べば雨の香満ちる





さて篠田節子氏著『純愛小説』のレビューを少し。


「純愛小説で出世した女性編集者を待ち受ける罠と驚愕の結末、影のように慎ましく生きてきた女性が抱く最初で最後の狂おしい想い、息子の恋人に抱いてしまったときめき、年齢を超え理不尽なまでの磁力で惹かれあう男女…
成熟したからこそ逃れがたい「恋」という名の愚行がときに苦く、ときに危険なほど甘やかに綴られる4篇の物語。
直木賞作家、円熟の筆が冴える、ほんとうの大人のための“ロマンティック・ラヴ」


とても大人のための“ロマンティック・ラヴとも”純愛小説”ともいえないようなテイストの4篇。


さすが篠田ワールド、ただの純愛小説ではありません。


4篇ともそれぞれの状況はまったく違ってはいますが、社会のなかでじゅうぶんに発酵してきたであろう分別もあるはずの中年期、または初老期になった大人の恋愛事情。


「恋」または「愛」というものが「性」にまとわりつかれているような息苦しさを覚える作品。


スマートな遊び方を旨としていた男友達の身に起きた離婚話、親の介護を終えて遺産を相続した姉の身に突然降って沸いたような恋愛の果ての失踪、進学と同時に下宿した息子のガールフレンドの姿にまぶしさを感じてしまう父親、一回りも年長の女の肉体に溺れた夫に戸惑う妻・・・
どのエピソードも人のもっている理性では抑えきれない本能に翻弄される男女を描いて凄みのある作品になっています。


与える側と受け取る側で大きく隔たりがあれば「純愛」や「愛情」は途端に変質してしまう・・・ひたすらな純愛と思っていても、受け取る側がありがた迷惑と思えばストーカーとなってしまう。


分別や計算を超えた大人のひたすらな恋ほど怖いものはない、と思わせる作品群、興味ある方はどうぞ。

ネットでニュースを見ていたら、朝日新聞3月9日付朝刊の声欄に載った投稿についての記事が出ていました。

新聞ストックの中から探し出して3月9日付の朝刊を見ましたが・・・載っていなかった・・・

たいてい隅から隅まで読むのだけれど記憶にない・・・


ということでネット情報をそのままアップします。

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「妻が願った最期の『七日間』」 (71歳の男性)
■最後の「七日間」でしたかったことを詩に残す

投書によると、1月中旬に亡くなった男性の妻は、最後の「七日間」にしたかったことを1編の詩につづっていた。
詩を書いたノートが、入院した病院のベッドの枕元にあったそうだ。

 妻は、病院から抜け出して最後の元気な時間がほしいと神様に嘆願し、こう願い事を書いた。

  「一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌カレーもシチューも冷凍しておくわ」

 二日目から六日目は、愛犬を連れて夫と思い出の箱根にドライブしたり、友達と女子会でカラオケに行ったりしたいと願った。
そして、最後の七日目には、夫との時間を大切にするつもりだと明かす。

  「あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう」

 夫に手を執られて静かにこの世を去る――詩の最後の部分は、願いがかなった。
それ以外はかなわなかったというが、男性は投書の最後に、「2人の52年、ありがとう」と妻に呼びかけている。


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遠い昔読んだ記憶がある『愛と死を見つめて』の中の一節を彷彿とさせるような記事。


死に向かう床にあって日常の何気ない暮らしの大切さに気づく、、、

わかっていても日々の細事にかまけてついつい生きていること自体の奇跡を忘れがちになってしまう自分・・・深く反省。


もっともっと大切に生きねば、と改めて思わせてもらいました。


私もきっと投稿者の方の奥さまと同じことをしたいと思う・・・


家族や友人たちひとりひとりに感謝の言葉と、傷つけたことがあれば謝りの言葉を伝える手紙も遺したいし、その前に不要な治療は要らないことも伝えなければ・・・


こうして書いてみると死に際もけっこう多忙、でもそんな余裕があるかな?


そろそろエンディングノートに着手しなければ。






さて今回は篠田節子氏著『銀婚式』をご紹介します。 


「壊れてゆく家庭、会社の倒産、倒壊するツイン・タワー、親友の死……

望んでもいなかった<人生の第2幕>

「男の本分は仕事」。
それは幸せな人生ですか? 
歳月を経て、夫婦がたどり着いた場所。
働くとは。
結婚とは。
幸福とは。
直木賞作家が描き出す、激動する時代の「家族」の物語。

野心や出世のためというより、責任感と義務感で仕事をする。
そんな普通のサラリーマンが今の時代は貧乏くじを引く。
やりきれない現実の中で、どのようにして人生を立て直し、切り開いていくのか。
最後に救われるのは――

現代日本人の生き方を問う、著者ひさびさの“直球”ともいえる、傑作長編小説が登場」



毎日新聞「日曜くらぶ」に連載された新聞小説を一冊にまとめたもの。


離婚、会社の倒産、再就職と翻弄される男の人生を描いた小説。


主人公は著者によれば「高度成長期に育ち、一生懸命頑張ってきたのだけれど、人情の機微に疎く、妻も含め女性の扱い方がへたなので、苦しい立場に追い込まれてしまった男性」。


「男の本分は仕事」という高度成長時代の価値観にしがみつき、他者の気持ちや感情を理解する前に、目の前の問題を合理的に処理し突き進んだ結果、証券会社・保険会社・大学という変遷を経た職場でもある程度成功するものの大切な人々の気持ちを汲むことが出来ず、人生の岐路で失敗を繰り返すことになります。


主人公だけでなく、この年代の男性は特に自分の価値観に固執して身近な足元で崩壊が起こるまで大切なサインに気づかず、あるいは気づかないふりをして過ごすというパターンが多いのではないでしょうか。


結果、妻側から熟年離婚を突きつけられたり。


本書の主人公もそのような変遷を経て、ついに孤独な自分と対峙することになりますが、著者はラストに幸せな老後を示唆する救済的なギフトを残して作品を閉じています。


仕事人間であった主人公の生き様が中心に描かれていますが、それに付随する夫婦の物語、息子の大学受験、元妻の両親の介護問題などなど、さまざまな問題が提起されていて、読者にとっても他人事とは思えない話の展開が盛られています。

自分的には★★★。

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